柘植尚則

プロフィール:

専門はイギリス倫理思想史。ここ数年は、近代イギリス道徳哲学における「利己心」の問題について思想史的・理論的研究を行っている。

本年度研究紹介:

現代では個人が利己心にもとづいて行為することが当然のように考えられているが、近代では必ずしもそうではなかった。その近代にあって、利己心の正当化に深く関わったのは、マンデヴィルやアダム・スミスをはじめとする、イギリスのモラリスト(道徳思想家)たちであった。利己心は近代のイギリス道徳哲学において中心的な問題であり、17世紀から19世紀にかけて、多くのモラリストがこの問題について論じている。利己心を正当化したモラリストとして、マンデヴィルやスミスのほかに、ホッブズ、ロック、ヒューム、ベンサム、ミルなどが挙げられるが、彼らを批判した、シャフツベリ、ハチスン、バトラー、リード、シジウィック、ブラッドリーなども、利己心の正当化に深く関わっている。ここ数年、モラリストたちの議論を辿り、個別に検討してきたが、本年度はその総括を行う。

平成25年度の研究成果概要:

「マンデヴィルの道徳哲学」
 マンデヴィルの『蜂の寓話』を道徳哲学の書として考えるとすれば、その最大の特徴は道徳を政治的な産物として説明したことにある。マンデヴィルによれば、人間は利己的で頑固でずる賢い動物であり、力だけで人間を従順にすることはできない。だが、人間には「自尊心」がある。そこで、政治家たちは、「追従」という方法で人間に取り入り、自分の欲求を抑えて公益をめざすことが「名誉」であり、反対に、自分の欲求に囚われて私益をめざすことが「恥」であると教える。その結果、人間は、政治家たちの追従に自尊心を煽られて、名誉を求め、恥を避けるようとする。それとともに、自分の欲求を抑えて公益をめざすことを「徳」と呼び、自分の欲求に囚われて私益をめざすことを「悪徳」と呼ぶことに同意する。それゆえ、「道徳的な徳は、追従が自尊心に産ませた政治的な子である」。
 この議論は、『蜂の寓話』のテーゼである「私人の悪徳、公共の利得」――貪欲や奢侈などの悪徳が社会の利益をもたらす――と矛盾しているか、齟齬をきたしているように見える。しかし、そうとは言い切れない。マンデヴィルの議論を次のように解釈することも可能だからである。人間は、その本性において利己的であるから、真に有徳になることはできないが、自分自身を欺くか、偽善者になることによって、有徳にふるまうことはできる。そして、政治家たちは、そのことを見越して、徳を称賛し、悪徳を非難する。そこで、政治家たちの追従により、悪徳はいくらか抑えられるが、だからといって、完全に消え失せることもないのである。マンデヴィルの唱える「政治の巧みな管理」とは、一つには、このことを意味しているように思われる。

平成24年度の研究成果概要:

「アダム・スミスの「道徳感情の腐敗」論」
 周知のとおり、アダム・スミスは、道徳判断を感情と捉え、その成り立ちや働きについて論じている。スミスによれば、道徳判断とは観察者の道徳的な是認・否認の感情である。観察者は、想像力によって行為者の立場に立ち、一定の情動を得る。そして、その情動と行為者自身の情念とを比較して、両者が一致する場合には是認の感情を抱き、一致しない場合には否認の感情を抱く。スミスの言う「道徳感情」とは、こうした道徳的な是認・否認の感情であり、「共感」とは、観察者の想像的な情動と行為者の本源的な情念が一致することである。そして、スミスの考えでは、行為者は、観察者から是認されることを、言い換えれば、共感されることを欲して、自分の情念(自己愛など)をみずから抑えて行為するようになる。このような仕方で、道徳感情は行為に影響を与えるのである。
 ところが、スミスは、道徳感情の重要性を強調する一方で、道徳感情の「腐敗」についても論じている。スミスによれば、「嫉妬がない場合には、喜びに共感する性向は、悲しみに共感する性向よりもはるかに強い」。そこで、人間は、「裕福な人々や上流の人々に感嘆し、貧しく卑しい状態にある人々を軽蔑したり無視したりする性向」をもつ。そして、その性向のために、道徳感情の腐敗が生じるのである。だが、そうした性向が本性的なものであるとすれば、道徳感情の腐敗は避けられないことになるだろう。そうなると、道徳感情の妥当性や、道徳感情が行為に与える影響の正当性が問題になるだろう。道徳感情の腐敗を必然的なものと見るか、例外的なものと見るか、スミス自身の立場は明確ではないが、いずれにせよ、道徳感情の腐敗に関する議論は、スミスの道徳感情論を破綻させる危険を有している。


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