関根 謙

プロフィール:

1951年福島県生まれ。現在慶應義塾大学文学部教授、2010年4月より文学部長。専門は中国現代文学。近年の監訳に『蟻族――高学歴ワーキングプアの群れ』(廉思編、勉誠出版社)、翻訳書に『旧跡――血と塩の記憶』(李鋭、勉誠出版社)。日中戦争期からの都市の文芸運動の研究に関して『胡風追想』(梅志、東方書店1991)、『南京慟哭』(阿壠、五月書房1994)などの翻訳があり、中国社会の暗部を描く作品群『飢餓の娘』(虹影、集英社2004)、『プライベートライフ』(陳染、慶應義塾大学出版会2008)など多数の翻訳がある。また『「規範」からの離脱』(山川出版2006)、『ユートピアの文学世界』(慶應義塾大学出版会2006)など中国文学の状況を解明する著作を発表している。

本年度の研究紹介:

●以下の概要にあるように、2013年度の研究活動により、2014年度の展望が大きく開けた。チベット地域に関しては、残念ながら政治的情勢の複雑さが影響して今年度同様の実地調査は困難となっているが、現地で留学していた日本人研究者などのネットワークを把握することができ、チベット人への聞き取り調査の可能性が高まった。また彝族社会への調査に関しては、現地の大学研究者及び中学校の教員との直接の関係が深まり、2014年夏に研究協力者1名を派遣する基盤ができた。さらに重慶のマイノリティ社会調査の一環としてプロテスタント教会牧師との交流が進み、2014年9月に文学部講座に招聘する企画が実現の運びとなった。重慶に顕著な市民の自発的コミュニティの状況調査にも進展があり、2014年度はその歴史的背景として抗日戦争時期のメディアや創作者との関連にも調査を進めたい。

平成25年度の研究成果概要:

●2013年8月に関根謙が「チベットラサ地区・四川涼山地区調査」を行った。行程は下記の通りである。
8月9日;羽田→上海→成都
8月10日;成都
8月11日;成都→ラサ
8月12日~15日;ラサ調査
8月15日;ラサ→成都
8月16日;成都調査
8月17日;成都→西昌
8月18日~19日;西昌→昭覚、昭覚調査
8月20日;西昌調査
8月21日;西昌→成都→重慶
8月22日~25日;重慶調査
8月25日;重慶→北京
●上記の期間において、下記にある複雑な手続きを経て、本研究プロジェクトの調査を行った。
1、日本で入手できなかった「チベット入境許可証」を現地ルートから獲得。
2、成都空港、ラサ・ゴンガル空港、ラサ市内にていずれも厳重な審査を受け、指定の専用車にてラサ市内へ。以後の見学コースおよび宿泊先もすべて公安に届け出て、許可を受けた。
3、ラサでの主な見学と調査先:ポタラ宮、大昭寺(チョカン寺)、八廓街(パルコル)、繁華街太陽島。
ノルブリンカ(夏の宮殿)、チベット博物館、セラ寺院(ラマ僧修行の寺)、パバンカ寺院および同寺院に敷設された天葬台(鳥葬(チャトル)の施設)、薬王山洞窟寺院(ザンゲドンク)、海抜4900メートルのガンバル峠・ヤムドク湖、曲水大橋付近の「水葬台」、ジャクサンチュブリ(文成公主沐浴の地)、シャジェリンゴンパ寺院および同所旧寺院の遺跡見学。
4、ラサでの学術交流は下記の通りである。
△チベット大学(西藏大学)、西藏大学文学院院長拉巴次旦教授、同大学国際交流合作処処長魏紅教授、西藏学の権威である中国藏学研究中心研究員陳慶英博士らと交流。
△拉巴次旦教授を文学部に招聘する企画を申し出て快諾を得る。
△ラサ在住日本人および、そのチベットの友人たちと懇談。多くの情報を得る。
△ラサで旅行社を手伝いながら長年研究をしている人類学者村上大輔氏と交流。
△修行中の某寺所属僧侶たちと交流。
5、西南民族大学外国語学院院長馬永平教授の援助を得て、抗日戦争時代の文学者に関する調査を進めた。
6、同大学彝(イ)族学院院長羅慶春(彝族名アクウウ)教授の援助を得て、彝族居住地(西昌涼山地区)の実地調査を行った。見学・調査地は西昌彝族奴隷社会博物館、礼州古鎮、鎮内、西禅寺、礼州会議跡地、西昌市内邛海、霊鷹寺、青龍寺、天主教堂(カトリック教会)、基督教堂(プロテスタント教会)など。
7、彝族の人々や研究者との交流については、下記の通りである。
△彝族出身者の祝賀の席に招かれ、昼食と交流。
△昭覚県昭覚民族中学校長馬氏の招待により、昭覚(彝族居住地区)に赴き、昭覚民族中学校の大講演会に参加。席上、日本の大学の学部長として高校生1500名に挨拶。
△彝族の中学校教師・高校生らと食事をとりながら交流。
△彝族学者阿余鉄日氏から彝族の歴史と文化についてのお話を伺う。四川大学院生賀源君同席。西昌民族中学校教師アクムガ氏、リムジ氏らも交えての懇談。
▲アクウウ院長に関しては、2013年12月に当文学部日吉設置の講座にお招きして、日吉1、2年生140名を対象に彝族文化についての講演をしていただくことができた。
8、重慶においては重慶師範大学靳明全教授の援助を得て、抗日戦争時代の文学者についての調査を進めた。今回は市内全域から歌楽山山中、郊外の旧渡し場磁器口まで調査できた。また重慶市内プロテスタント重慶解放西路教会を訪問し、王雪潔牧師、蒲甫牧師と懇談する機会を持ち、さまざまな情報を得た。
9、王雪潔牧師には来年慶應での講演を依頼し、快諾を得た。

平成24年度の研究成果概要:

中国少数民族社会調査
本調査のために、今年度は基礎的な資料収集を行い、実地調査に備えた。
研究調査の足掛かりとして、西南民族大学彝族学院の全面協力を依頼した。同学院院長アクウウ(漢名;羅慶春)教授の招聘を得て、2013年3月末日に関根が彝族学院を訪問し、彝族の学生を対象にした日中比較文学と翻訳文学に関する講演を行った。このとき、講演に集まった彝族学生はおよそ70名、彼らは日本文化への旺盛な興味を示すとともに、自民族文化への強い自負を表現していて、今後の調査の充実した成果が期待できるように思えた。その際に、アクウウ院長から2013年度における彝族自治区探訪旅行のご招待があり、2013年夏季の調査旅行を確定することができた。
チベット自治区への調査に関しては、正式ルートでの調査旅行の依頼を日本の代表的な旅行社を通じて行ったが、チベット入境許可申請が入手できなかった。特に日本の新政権との問題が顕在化した後は、全く情報が途切れたので、さまざまな方途を通してチベット入境の可能性を探った。その結果、前述の西南民族大学で知遇を得た留学生のなかのチベット滞在経験者を通して、ラサ在住の日本人及び日本人対象の現地旅行社を見つけることができた。こうしたラサの人々との直接折衝により、2013年4月以降にチベット入境許可が緩和されそうだという情報を入手し、2013年度の実地調査の足掛かりを作ることができた。
中国少数民族社会調査
2012年度はこれまでの資料の整理に終始した。プロテスタント重慶教会との連絡は、関根のこれまでの研究調査で確立しており、実地調査に関する心配はしていなかった。今次の研究において、マイノリティ社会としてのキリスト教会のインタビューは、少数民族社会の調査と両輪をなすもので、キリスト教社会における倫理的優位性と個の確立の現状を明確にすることにより、少数民族社会に対する同化政策の非現実性を浮き彫りにしていくものと考えている。委細は、2013年度の最終報告に記す予定である。

研究紹介:

多くの人々の共通認識だった60年来の理想は、現実的な影響力を急速に失いつつある。「中国式社会主義」の文言は華々しく喧伝されればされるほど、人々から無視されてきている。それは中国が国家としての中核の理念を失いつつあるということを象徴しているのであり、また国家そのもののイメージがぼやけて、大陸が新たな混沌の時代を迎えつつあることを示唆するものとも思える。
こういう認識に立って、本研究は中国社会の行動様式と集団的判断の変容の道筋を権力構造の周縁に目を向け、社会的弱者とマイノリティの人々の行動判断の実態を明らかにすることにより明確にしようとするものである。こうしたマイノリティ社会は、メジャーである漢民族社会の醸し出しつつある長期の慢性的脆弱傾向に対し、倫理的精神的な優位性を次第に強めてきていて、小集団ながら理想の価値観を共有するコミュニティをしっかり作り出してきているように見える。それは理念を喪失して疲弊した格差社会に対して、相対的ながら明らかな高みに立つものと言えよう。現代におけるマイノリティ社会の調査検討は、これからの中国社会の変化の可能性を探る鍵であり、多様な要素を抱えた混沌の大陸に暮らす人々の価値判断と行動選択の真相を解明する重要なステップとなると思われる。


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